大昔から日本も朝鮮も銀を採掘し製造していました
しかし日本は水銀アマルガム法という手法を用いていた
これには水銀中毒という致命的な問題があったので生産量は十分ではなかったはずです
1533年に朝鮮から日本に灰吹法が伝えられは金や銀が効率よく生産されるようになった
金や銀を含む鉛を骨灰などで作った皿にのせ、約1000℃に熱すると、鉛分は酸化鉛になって皿に吸収され、金銀合金が残る
1533年に博多の貿易商人の神屋寿禎が連れてきた技術者である宗丹と慶寿によってこの灰吹法が開始された
当時の朝鮮は銀の採掘や製造にあまり関心を示さなかったので
彼らを厚遇せず、結果日本にこの技術が流出してしまった
なぜなのか
銀の採掘は贅沢を助長するという儒教の考え方があったからです
灰吹法はその当時は先端技術で熟練した技術者だけができたにもかかわらず日本の奪われてしまったわけですね
日本は東アジア最大規模の石見鉱山と
朝鮮から伝わった鉛は灰吹法で銀の生産量を飛躍的に増加させ
莫大な富を手にします
そして、この銀を西洋の輸出し貿易が盛んになり安土桃山時代が花開きました
豊臣秀吉は全国を統一し、この力が壬辰倭乱となり朝鮮に向かうのです
当時の日本の銀の生産量は、世界の 30% にも達していました
このような朝鮮の貢献が無かったとしたら、文禄·慶長の役が可能だったのか?
無理ですね
明をはじめ、イギリス、ポルトガル、オランダも当時は銀本位制を採用していたので、
日本はより西洋と容易に交易することができました
そして1600年代に入ると鎖国はしますが長崎に出島という人工の島を作って西洋と交易を続けます
この頃から日本は西欧と交流し、西洋の事情を知るようになる
当時、出島を通じて西洋の進んだ書籍が1万冊以上輸入されています
西洋医学、天文学、地理学などなど
西洋の科学技術が日本に流入し、彼らは学び自分のものとして成長していく
蘭学と呼ばれ国家のために使えそう物は
幕府の将軍にまで直接報告されました
そして文禄·慶長の役の時、朝鮮人の陶工を大量に拉致し日本に連れて行く
この朝鮮人陶工たちによって日本の陶磁器産業が世界で爆発的に売れていく
それまでの日本の陶磁器は品質が良くなかったのですが、この朝鮮人陶工たちが日本の製造技術を飛躍的に発展させました
彼らが亡くなったあとも神として崇められ今の日本には碑石が残っています
銀と陶磁器が日本の貿易黒字を大きしていきます
まだまだ続きがあります
陶磁器を船に乗せ輸出するためには割れないように包装材で巻いていました
その時、日本の下級浮世絵師の描いた紙を使って包装したんですが
この浮世絵がなんとヨーロッパで大ヒットしてしまいます
ヨーロッパにはなかった画風が彼らのツボにはまり評価される
そしてゴッホを代表とする印象派の画風にも影響を与えます
すでに16~17世紀に日本は経済的も文化的もすでにアジア諸国とは
比べ物にならないほど発展していました
これがそのあとの近代化へとつながっていくのです
この日本の経済力を決定的に支えたのが
我が国由来の
銀の分離法と陶工技術だったという点が興味深いです
そしてこの日本の近代化が明治維新で完成され、その後の歴史へとつながっていくのです
結論、日本の近代化の足場となる技術力は全て朝鮮に由来する
これによって貧弱だった日本は発展し、逆に朝鮮を飲み込むまでになったのです
技術や商業を蔑ろにした朝鮮の末路は国権を失うことに繋がったのです
朝鮮が滅びるのはある意味当然の結果です
韓国の反応
・明治維新があったから日本が朝鮮を追い抜いたと考える人は、この文を必ず読まなければならない
浮世絵もやはり日本の資本主義の発達と密接な関係にある
漫画にアニメだって、これが土台でしょう
・日本の知識人が狂ったように西洋書籍を翻訳して
今私たちが使っている近代的な漢字語のほとんどを作りました
日本を貶し日本にでも行け! と声高に叫ぶ人間たちは本当に···
少しは日本の歴史を学べ